我家のキャンプ
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キャンプ場への夢 (KC-MATES NEWS1994.11.21より)
炎熱の中近東のアラブ首長国連邦アブダビに勤務していたので夏季特別休暇を毎年1ヶ月貰えることになり、小学生の息子2人、幼稚園の娘1人の5人家族が選んだのがヨ−ロッパ・キャンプ旅行でした。 そして最初のアムステルダムのキャンプ場が大きなカルチャ−・ショックを与えました。 第一次石油ショックのあと台湾から東京へ帰国し、初めて三方がコンクリ−ト壁の狭い都内の社宅に住むこととなり、丁度その頃 週休2となったことと海外で育ち日本のことをあまり知らない幼い子供たちに日本を見せておきたい、狭い社宅に動く一部屋を加えるのだと理屈をつけて中古車を購入、東京周辺へ週末ドライブに出掛けるようになりました。 ところが、道路は渋滞、宿泊施設はやたらと高い、それなら学生の時や新入社員の頃テントを担いで山歩きしたようにテントを車に積んでおけば良い。 これが我家のキャンプの始まりでした。 当時は未だキャンプ場・キャンプ道具・キャンプに関する情報も少なく、(社)日本オ−ト・キャンプ協会があることを偶々何かで知り加入、大原・大野路などのキャンプ場やクラブ・キャンプにも参加、エンジョイしました。 その後アブダビに赴任することとなり、砂漠と海しかない娯楽に乏しい所なので、キャンプ道具一式を船便で送り家財道具の大半はキャンプ道具じゃないかと笑われたりもしましたが、素晴らしく透明なペルシャ湾での魚釣り・貝掘りキャンプなど十分楽しむことができました。 家族連れの長期休暇となると費用も多額となり、はじめはキャンプ道具をスイスの支店に船便で送り山の中でキャンプをとの小生の案は女房の「よその奥様たちはロンドン・パリ・ロ−マなどにいらしてるのに!」の反対に遭い、結局
折衷案と |
・・・・次号から キャンプの思い出などを続けたいと思っています。・・・・
キャンプと我家 (喜連川町 公民館 広報紙「陽だまり」 1995年) 縁あってここ喜連川に、昨年緑の日にキャンプ場を開設、一年余りとなりました。 我家がキャンプを楽しみ始めたのは、昭和51年台北勤務から帰国、東京目黒の社宅に 入れられて、三方をコンクリ−トの壁に囲まれた生活を始めた頃でした。 都心としては比較的緑に恵まれた所ではありましたが、丁度その頃会社が週休二日と なり、毎週末 渋谷・銀座などと盛り場へ家族で出かけても、やはり何かが不足。 自然です。長男1年生、次男幼稚園、長女2歳、勤務上日本にいるのは長くて3年、又、 外地勤務が待っており、子供たちは日本の田舎の風景・人々・匂い・・を知らない。 狭い社宅に一部屋増設との言い訳を作って中古車を購入、週末ドライブ・・・ところ が渋滞、ホテル、旅館が日本はやたらと高い。昔、独り者の頃はテントを背負って夜 空を見たではないか。その頃は車なぞ買えるとは思ってもいなかった。 テントを車 に放り込んでおけばいいじゃないか・・・。これが我家のキャンプのスタ−トです。 砂漠のアブダビにも、お前の所は引越し道具よりキャンプ道具の方が多いじゃないか 、とからかわれながら、魚釣り・貝掘りの灼熱の海外キャンプ。気温が摂氏50度を越 す世界なので、毎年一ヶ月の休暇をとらないと日本人はエコノミック・アニマルと嘲 笑われる。家族全員で一ヶ月間遊ぶということは未だかつて経験したことない、それ にお金も大変だ、さて、どうしよう?! ということで、オランダのキャンプ場でキ ャンピングカ−とテントをレントして、ライン河を遡り、三週間のキャンプ旅行。 これが病みつき、帰って来るなり、来年はどこへ行こう・・・。 以来20年近く我家の趣味・・・とうとうキャンプ場を作る羽目になってしまいました。 キャンプって何だろう? −キャンプとは、光と風、緑、草の匂い。 日本人の自然の原点は 荒々しい大自然ではない、やさしい農の風景です。 これが私どもが、喜連川にキャンプ場を定めた理由です。 喜連川ファミリ−・キャンプ場 オ−ナ− 栂野 東房・博子 |
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